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うつ病による休職体験談:最適な休職のあり方を考えてみませんか?

1. うつ病休職の基礎知識

まずは、うつ病によって休職する場合の基礎的なことをおさえます。

1. 給料

休職中の給料については、大抵の会社では無給のようです。ご自身の勤め先に確認する必要があります。ただし、「傷病手当金」といって、休職期間中は、健康保険の制度により、給与の2/3の額が毎月、支払われます。期間は、最長1年半です。この傷病手当金を受け取るための条件についてはこちらを参考にしましょう。
「全国健康保険協会 病気やケガで会社を休んだとき」

2. 休職期間

これも勤め先により異なりますが、上述しているように、「傷病手当金」の支払い期間は最長1年半となっています。

3. 職場復帰方法

これも勤め先により異なります。就業規則に「復職」という項目で記載されているはずなので確認してみましょう。一般的には、産業医や人事部との面談を行い職場復帰します。

2. みんなのうつ病休職体験談:きっかけ

ほとんどの人は、職場環境が原因で休職することになります。

その中でも過重労働が発生しているケースと、人間関係がうまいくいっていないケースに大別することができます。

もちろん両方のケースもありますが、まずは客観的にご自身がどういった職場環境が原因で休職することになったのかを分析してみましょう。

過重労働1

◆体調の異変 ――まさか自分が「うつ病」にかかるなんて――
それは教師になって3年目のある日、急にやって来ました。
不眠、朝起きられない、原因不明の嘔吐・下痢・高熱、食欲低下、ひどい耳鳴り…
それらは段々ひどくなり、最終的には自殺願望も出てきました。
朝電車を待っていて、「ここで飛び降りたら学校に行かなくてもいい」と思うのです。
今までの経験上、そんなことがなかった私は、どうしたらいいかわかりませんでした。
一人暮らしでしたが毎日母が来てくれていました。
母曰く、毎日私は持ち帰った仕事をしながら、号泣していたそうです。
朝の支度中に、意識を失って倒れ、痙攣が止まらないこともあったそうです。
そんな私を見ていられず、母が代わりに学校へ行ってくれ、休職を申し出てくれました。
そのときの悔しさは、鮮明に覚えています。
学校に行きたい、行かないといけない。でも行けない。
急に学校を休んで、クラスの子どもや保護者、同僚に迷惑をかけているという罪悪感。
教職で頑張っている友達と、自分を比較することによる劣等感。
社会人として、親が代わりに休職を申し出るなどという非常識なことは有り得ません。
ずっと自分を責め、憎み、とにかく辛かったです。
でも、今こうして振り返ると、そこで止めてくれた母には心から感謝しています。
母がいなければ、今私はこの世にいないと言っても過言ではありません。
それからというもの、たくさんの病院に行きました。
精神的なものからくる体の異常ということで、「うつ病」と簡単に診断されがちですが、
うつにも色々な種類があります。
症状も様々です。
私の場合は、診断名は「うつ病」でしたが、不安障害や適応障害、自律神経失調症など、
そういうものからくる、抑うつ状態ということでした。
しかし、元々の私の性格は、うつ病の特徴とは相反していましたし、
何より当時の私は、うつ病に対して偏見を持っていました。
うつ病は、心の弱い人がなるもの。自分がなるわけがない、と。
友達にもカミングアウトできず、一切電話やメールができない時期もありました。

◆うつの再発
1回目の休職の後、少しずつ「うつ病」とも上手く向き合えるようになり、
療養のおかげで、体調も大分回復し、新年度から復職しました。
しかし、すぐに体調を崩し2回目の休職。
やはり教師は公務員で、ならし勤務(例えばリズムを戻すまでは午前中のみ出勤する等)ができないので、
また多忙な日常に急に戻ってしまい、体が悲鳴を上げたのだと思います。
また、休職した場合、原則は同じ学校での復帰になるので、どうしても周りの目が
気になってしまい、実際保護者の方からはきつく当たられるようになりました。
それも体調を崩した原因の一つだったのでしょう。
教師の場合、メンタルの休職から復職する場合は、市教委と県教委による2回の面談があり、
圧迫面接のようなものもあるので、転職もすごく悩みました。
私の場合、新卒で学校に勤務したため他業種への転職には二の足を踏み、
また、うつ等の理由で転職や退職を即決するのは良くないという当時の主治医の助言もあり、
2回目の休職の後も、結局復職を決意しました。4年目の年度途中(1月)からでした。
何より1校目の学校しか勤務経験がなく、違う学校でも働いてみたいという気持ちが大きくありました。
今はどこの学校も大変ですが、初任校は特に人間関係がギクシャクしていて、
職員室にいると息が詰まり、自分に合わないと感じている面が多々あったからです。
ちょうどこの時期に、付き合っていた彼と同棲を始めました。
彼は私が教師を続けることに反対していましたが、私の決断を心から応援してくれました。
家に帰って、いつも励ましてくれる家族がいて、辛い時も本当に心強かったです。
その後、希望通り転勤することができ、職場環境にも恵まれ、
学級担任も外してもらい、のびのび楽しく仕事ができました。
しかし、そんな楽しい中でも、どこかで疲れが溜まったのか、また体調を崩してしまいます。
自分で自分に呆れてしまいましたが、職場の方もすごく優しく休職を勧めて下さいました。
そのご厚意に甘えて現在3回目の休職中です。

引用元:教師の仕事でうつ病に。家族とカウンセリングに救われました。

過重労働2

専門学校を卒業後、Web制作会社に勤めて4年半ほどたったある日、鬱病と診断されました。
診断される少し前から、全く頭が働かない、会議に出ても皆の言っている言葉が頭に入ってこない、理解できない、メモを取ったはずのノートを見ても何を話していたのか思い出せないという状況になり、朝は起きれず、土日は寝てばかり、風呂にも入れず、何も行動ができず。

PCの前に向かって仕事を始めようと思ってもただただ涙があふれてくるばかりで何も手につけられない。

これはヤバいと思い近くの病院を受診、すぐに入院もできる大きい病院を紹介される。
大きい病院では
「鬱病です。診断書を書くので仕事は休みなさい。今すぐ入院してください。実家のご両親に入院同意書のハンコをもらってください」と言われ、仕方なく親に報告。父親の「帰ってこい」の一言であれよあれよという間に休職し地元へ。

地元の病院に転院したが症状はひどくなる一方。薬も、1日30錠以上飲んでいた。何度も死にたいと思い練炭を積み夜中にでかけたことも。結局死にきれず。

私の場合は、鬱病の原因は、家庭環境と仕事内容にあったと思う。

「環境」が鬱病を作るのではないかと思う。
母親の愛情を疑うことなく、気楽に相談できる関係だったらどうだろう。
仕事が、めちゃくちゃな労働体制の会社でなかったらどうだろう。
おそらく、私は鬱病にはなっていない。

治すためには、家に問題があるなら、家を出る。
仕事に問題があるなら、仕事を変える。
自分を縛っている環境を変えることは、重要。
引用元:うつ病にかかった6年半。環境を改善することで回復。

人間関係

まだ新人で、2年目と半年の間働いてきました。
ところが、2年目のチームの上司と相性が悪く、だんだん自分に自信がなくなりました。
気づくと、忘れっぽくなり、失敗が増え、言葉がだんだん出にくくなってきました。
朝起きると絶望し、体に力が入らず、毎日しんどい体で仕事に向かっていました。

あるとき、ふとネットで心療内科を探していたところ、いつも買い物に行くデパート内に新しく「いおりクリニック」が出来ていたことを知り、気軽な気持ちで電話をして予約をしました。

通い始めて3週目あたりで、「うつ病」と断定され、明日からすぐに休職するようにとの指示がされました。
やはり急に休むことはできず、まずはトップの人間と相談し、別の病院からセカンドオピニオンを受けた上で、次の週から休職する形になりました。

引用元:仕事から発症したうつ病。リフレックス錠での薬物療法。

3. みんなのうつ病休職体験談:休職時の過ごし方

休職期間中は、まずは休息をとることが大前提です。

その中で、ご自身の趣味に没頭したり、場合によっては職場環境を変えるために転職活動をおこなうという選択肢もありえるでしょうか。

ここで最も大事なことは、あなた自身のことを一番大事にするということです。

休職中に楽しいことをしている自分、転職先を探している自分に対し、罪悪感を感じる必要は全くありません

あなたが、今後の人生において、精神的な健康状態を保って働くことができることが最も大事なのです。

生活のリズムは崩さないようにし、3食きっちり食べます。
家事をしながら、趣味の読書や映画鑑賞、ピアノを満喫したり、
家にいてばかりも良くないので、体調が良い日はショッピング等に出かけ、気分転換もしています。
友達とも約束して、ゴハンに行ったりできるようになりました。
もちろん体調が悪い日もあるので、その日は家事もお休みでゴロゴロしています。
最近は挙式の準備が忙しくなってきたので、追われている感も否めませんが、
あれしたい、これしたい…とワクワクする気持ちの方が大きく、充実しています。

引用元:教師の仕事でうつ病に。家族とカウンセリングに救われました。

2週間に1度の通院3か月程続けた頃から気分の落ち込みが改善された。
そして治療を始めて半年程で職場復帰することが出来た。
その後も通院は続け、1年位たった頃から減薬を始め1か月に1度の通院を半年程して投薬が終わった。
今、振り返って思うことはもっと早く心療内科を受診すれば良かったと思います。
また今後、同じ様な状態になったらすぐに受診するつもりです。

引用元:うつ病になり、心療内科の受診をためらった事を少し後悔。

治療は主に薬物投与で、寝る前にリフレックス錠を飲むというものでした。
眠けの強い薬だと聞いていたのですが、毎晩悪夢がひどく、睡眠薬も投与されるようになりました。
この薬は私にあっているようで、ほとんど副作用が出ることもなく生活できています。

これから、仕事に復帰できるかどうかを主治医と相談しながら治療を続けていくことになると思います。

引用元:仕事から発症したうつ病。リフレックス錠での薬物療法。

4. 少しでも心が苦しくなってきたら思い切って休職してみましょう。

休職するというのは、とても勇気のいる選択です。

必ずしも絶対に休職してください、というわけではありませんが、あなたの健康が最も大事なので、健康を保つための方法として「休職する」という方法は非常に有効に働くので、心が苦しい状態が続くようなら、思い切って休職してみましょう。

この病気は、誰でもかかる病気だと思います。
しんどい時は、本当に辛く、死んでしまいたい気持ちになることもあるでしょう。
でも、無理して治そうとせず、長くゆっくり付き合っていこうと思うと、
私の場合はすごく楽になりました。
また、周り人の理解も、とても大切です。
自分一人で抱え込まず、少しでも悩みを打ち明けられる人を増やして欲しいです。
周りが敵ばかりに見えても、味方が一人でもいれば、生きていけます。
今が人生のどん底なら、それ以上落ちることはありません。
自分の人生、何より自分自身を大切に労わって欲しいです。
そうすれば、今までの見方が変わって、こんな自分でもいいかと思えるようになると思います。
拙い文章でしたが、これを読んで下さった方が、少しでも元気になってくれればと願っています。

引用元:教師の仕事でうつ病に。家族とカウンセリングに救われました。

会社での待遇がひどく(今思うとほぼブラック企業)、鬱病になりました。

最初は自分ではうつだとは気づかず、食欲が無くなって激やせし、1日中めまいがしたりという体調不良で苦しんでいましたが、内科医院にかかっても、めまい止めの薬を処方されるだけで治らず、そのまま日々勤めに出ていましたが、ある日、電車の中など全く関係ないところで、悲しくもないのに涙が出るようになり、自分でもこれはおかしいと気づいて、精神科に行きました。

看護師さんに病状を説明する間にも涙が止まらず、医師にもあきらかに鬱病だといわれ、しばらく休養をとることにしました。

会社には定期的に診断書を送っていましたが、いつ出てこれるのかはっきりしろ、代わりの人をやとわないといけないから、というワープロ打ちの手紙がきて、やむをえず退社することに。あとから気が付きましたが、休職、という手段もあったはずなのですが、うつになると判断力がなくなって考えられなくなるので、休職なんて思いつきもしませんでしたが、会社からも提示はなく、結局無職になってしまいました。

抗うつ剤は人によって合う物が違うらしく、いろいろためしながら治療しましたが、中には息苦しくなるものや、だるくて四つんばいでしか歩けなくなるようなものもあり、大変苦しかったです。

じょじょに回復し、完全に治るまでに1年半ほどかかりました。

引用元:会社の待遇からうつ病を発症

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