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2016年9月7日更新

さまざまな感染症の昔の名前を調べてみました。癩病、赤斑瘡、瘧、読めますか?

流行が騒がれているはしかは、平安時代の呼び方は赤斑瘡(あかもがさ)でした。時代の流れとともに、様々な事情を抱えながら病気の呼び方は変化していきます。有名な感染症について、昔の読み方をお伝えします。
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昔の人も苦しめられた感染症、目に見えないものは恐れの対象

現在ほど医療技術が発達していなかったころは、伝染病は怨霊の祟りであると怖れられました。

人々は神仏にすがり、祈祷を続けることで体調の回復と健康を祈り続けました。

現代でも、御霊信仰や八坂信仰は形骸化されていますが、神にすがることはずっと残り続けている治療法の一つでしょう。

しかし、カタカナ表記も多い感染症、昔も今のような呼び方をされていたのでしょうか。

わたし、気になります!

①癩病(らい病)

癩病は、現在のハンセン病を指します。

感染症の歴史を語るうえで、必ず語らなくてはいけない感染症の一つでしょう。

日本では、鎌倉時代からこの「癩病」とい表現が使われ始めたと言われています。しかし、地方によっては蔑称ともとれるような表現も用いられました。

1873年にノルウェーの医者のアルマウェル・ハンセンがハンセン病の原因となるらい菌を発見したことにより、後に世界共通で「ハンセン病」という名称が使われるようになります。

日本では、多くの議論を経た末、1996年にらい予防法と日本らい病学会の廃止と日本ハンセン病学会の設立をもって、完全にハンセン病という名称が使われるようになりました。

この議論で、昭和の人権問題について論文が書けるレベルなので、この程度の表現で留めておきます。

ハンセン病に感染した日本の歴史上の人物で有名なのは、戦国時代の武将、大谷吉継でしょうか。

義に生きた武将、大河ドラマ「真田丸」での片岡愛之助さんの演技も光ります。

②あかもがさ(赤斑瘡/赤瘡)

あかもがさは、現在の麻疹(はしか)を指すといわれています。

平安時代の文献から多く出てきており、江戸時代には何度も大流行しました。擬人化がされたのも、この江戸時代です。

「 赤斑瘡といふもの出で来て上中下分かず病みののしる/栄花 嶺の月」

麻疹(はしか)の歴史~擬人化で江戸時代の人は何を思った?~

瘡という字は身体にできるブツブツを指しているため、症状に合わせた当て字ということができるのではないでしょうか。

なお、現在はしかや麻しんと表現される理由は、疹という字が常用漢字ではないためです。平仮名が混ざると怖さや厳しさが薄れると感じるのは私だけでしょうか。

はしかに感染した日本の歴史上の有名な人物では、5代将軍徳川綱吉がはしかが原因で亡くなっています。

③瘧

これは「わらわやみ」や「おこりやみ」「おこり」と読み、現在のマラリア性の熱病を指すと言われています。

「瘧(わらわやみ)にわづらひ給ひて/源氏 若紫」

源氏物語では、光源氏がこの瘧に罹ってしまい、加持(お祈りして神仏にすがること)のために北山を訪れて、紫の上を垣間見るシーンが出てきます。

明治時代に一旦沈静化するものの、第二次大戦時には再び全国各地で大流行します。そのころにはマラリア(マラリヤ)と呼ばれています。

マラリアに感染した日本の歴史上の有名な人物は、一説では平清盛とされています。

その他「虎狼狸」「窒扶斯」

「虎狼狸」はコレラを指します。単なる当て字という説や、コロッと逝ってしまうからという説、虎狼狸という妖怪の恐ろしさ(コレラの根源とされました)とコレラの恐ろしさを重ね合わせた説など複数ありますが、正式な理由は定まっていません。

「窒扶斯」はチフスを指します。こちらは、完全に当て字であると推測できます。

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